海の町とさようなら。

海の町とさようなら。

 

2022430日。6ヶ月と少しを過ごした町から引っ越しました。

 

大規模な酪農業、水産資源の豊富な漁業を基幹とした、豊かな森林とオホーツク海に面する人口3000人の小さな町でした。

都会の喧騒とは無縁のここでの生活は平和そのもので、朝4時に自然に目覚める生活と程よく体を使う仕事により、一体今まではなんだったのか、と思うほどに健康体に戻った。友達や家族が近くにいた日常と距離をおいたことで、気付いたことがたくさんあった。自然の中で穏やかな時間を味わうこと・一人の時間、充実した日々を過ごせることに何度も感謝した。

 

 

大学生のときに、自分に東京のような場所は合わないことに気がついた。でもそれ以上にやりたいことがあったから身を粉にする覚悟で働いて、案の定粉々になった。このことに関しては東京がというより職場内の環境における問題で、これまでの人生で様々なコミュニティに属してきたけれど、人に恵まれなかったと思ったのは初めてだった。

学生時代の私は、海外旅行好きの同僚の話や当時付き合っていたバックパッカーの恋人の話に目を輝かせていた。25.6歳の頃には会社を辞めて、貯めたお金で海外をフラフラしようと考えていた。

 

でも疫病が世界中で流行ってしまったし、前向きな理由以外で自分がなにかを辞めるとは思わなかったし、想像以上に社会人生活が上手くいかないことをストレスに感じていた。

とにかく広い場所に行きたくて、家から歩いて土手へ行って過ごすことが増えた。

 

 

当時付き合っていた恋人は仕事のことで悶々としている期間が長く、相談に乗ってあげることは出来ても、現状を変えようとしてアクションを起こすことは他人の私には出来ないし、結局本人次第だと思うばかりだった。

 

そんなこともあって、海外へ行くことが難しい今「病気が流行っていたから行けませんでした」だけで終わりたくなく

海外のように(というと少しおかしいけれど)現実の生活とは遠く離れた生活を送れそうな北海道の小さな町へ行くことを、25歳の誕生日を迎える1ヶ月前に決めた。

 

観光で行かないようなマイナーな場所であること・海にすぐ行ける距離であることが行く先を決める基準となった。

 

 

 

買い物出来る場所が町内になかった為、オホーツクの海を横目によく隣町の紋別へ車を走らせた。

 

 

今日の海はどんな感じかな、と思ったタイミングや、コンビニに行くついでに海へ行く。この行動は突き動かされるようなものだから、カメラは滅多に持っていかなかった。

雪が大量に積り、いつもの海辺への道が除雪されていなかったときには近くに車を停め、膝下まである雪に足を突っ込み100mほど歩いて砂浜へ向かった。

港から離れた海は全く人気がなくて、いつも独り占め。とても贅沢な時間だった。

 

 

流氷の時期が来ると海辺の町はまるで業務用冷凍庫のような容赦のない冷気に包まれる。

日中でも露出している皮膚は痛む。それでも海へ行った。

 

 

町の人が言っていた「海の抜け感がないと落ち着かない」という言葉。

町に来たばかりのときはあまりに日本の端っこにいるものだから不安な気持ちになったけれど、町を出るころには共感出来るようになっていた。

 

海にたくさん救われた。

「海ばかり見てると人に会いたくなるし、人ばかり見てると海を見たくなる。変なもんさ」